延命院とは

…今から400年前

延命院のはじまりは寺伝によると、延命院は江戸初期の慶安元年(1648年)、後の徳川幕府第四代将軍・徳川家綱の乳母である三沢局を開基とし、七面大明神を守護する別当寺として日長により、新堀村(現在の日暮里)にて開創されました。
日長は、山梨県身延の七面山に百日間参籠し、霊夢を受けたのち、七面大明神のご神徳と祈祷法、さらに七面大明神の鱗を授かりました。寛永17年(1640年)、三代将軍・徳川家光から安産祈願を命じられ、翌年、家綱が誕生。この功績により、延命院の建立が許可されたと伝えられています。また、社殿などの諸堂はすべて江戸城大奥から寄進されたとされています。
慶安4年(1651年)に家綱が将軍に就任すると、延命院は徳川家の永代祈願所となり、幕府の庇護を受けるようになりました。
延命院の七面大明神は、江戸において最も古い七面大明神の一つとされ、江戸時代前期から江戸名所の一つとして多くの参詣者を集めました。特に江戸城大奥の女性たちの信仰が厚く、正室の代参(代理の参拝)や女中による祈願が盛んに行われたことで知られています。

 

延命院住職 下宮弘聖

伝統を受け継ぎ、時代に合わせて進化させる

延命院は、江戸初期より400年の歴史を持つ寺院です。その現当を預かる重責を担うにあたり、身の引き締まる思いでおります。身命を賭して、この職務を全うしてまいります。
当山は、日蓮宗の伝統と本質を大切にしながらも、現代社会に適応した新たな在り方を模索しております。仏事に関する疑問やご相談がございましたら、どうぞお気軽にお問い合わせください。
お寺は信頼が何よりも大切であると考えております。その信頼を決して裏切ることのないよう、誠心誠意対応し、お寺が続く限り、未来永劫にわたりお墓の管理とご供養をさせていただきます。
また、「お寺の檀家になると寄付が大変ではないか」とご心配される方もいらっしゃるかもしれませんが、当寺院では寄付を強制することは一切ございませんので、ご安心ください。
まだ試行錯誤の段階ではありますが、より良いお寺を目指し努めてまいります。今後とも皆様のご指導・ご鞭撻を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

本堂 一塔両尊四士

日蓮宗のご本尊は、久遠の釈迦牟尼仏ですが、当山ではお釈迦さまに加え、日蓮大聖人が大曼荼羅御本尊に示された仏尊のうち、主要な尊像を厳選して安置しております。中央にはお題目を表す宝塔を奉安し、その左右に釈迦牟尼仏と多宝如来をお祀りしています。また、地涌の菩薩の代表として、上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩の四大菩薩をお祀りし、その手前には宗祖・日蓮大聖人がお座りになっています。

七面堂 七面大明神

七面大明神は、法華経を信仰する人々を守護してくださる女神です。当山の七面大明神は、江戸時代に篤い信仰を集めました。
仏師・弥兵衛によって造立された御尊像は秘仏であり、一般には公開しておりません。また、延命院の住職が代々受け継いできた七面大明神の龍鱗が、寺宝として今も大切に伝えられています。
※写真は、通常お祀りしている懸仏(秘仏の代わりとなる御像)です。